予研村山分室にP4施設が建設された当時の事情を記載した資料として、武蔵村山市議会会議録、市報むさしむらやま、および富久尾浩武蔵村山市議会議員の著書から抜粋して下記に転載する。

(1)1981年12月24日の武蔵村山市議会での「P4施設建設等についての厚生省の措置に関する意見書」に対する伊澤秀夫議員の討論

 「第1点は、P4施設建設にあたって厚生省が口頭によるあいさつ程度で市の了承を得たとする点につき、その不当性であります。すでに新聞紙上で報道されておりますように、科学技術庁理化学研究所が谷田部町にP4施設を建設しようとするにあたり、町当局に正式に了承を求めていることに比べれば、今回の厚生省のやり方がいかに地方自治体を無視した官僚的なやり方であったかがはっきりするのであります。
 第2点は、P3クラスの実験室については、市には何もいわず、市民にも何も知らせず極秘にこれを完成させ、かつ厚生産業委員会で明らかになりましたように実験室の試運転を行なっていることであります。にもかかわらず本日の新聞報道によれば、厚生省は自分の土地に何をつくろうとかってだといわぬばかりの発言をしたとされておりますが、このような考え方が18世紀、主権の絶対性の認められた時代ならともかく、今日では通用するはずがないことも明らかであります。以上のように厚生省の官僚的秘密主義のやり方は、まことに不当であるといわざるを得ず、われわれは市民を代表して断固抗議するものであります。
 さらに、聞くところによれば厚生省は東大和市の大和基地あと地、このあと地にP4施設をつくりたいと打診をし、東大和市からあと地利用計画は、もうきまっているということで断わられたということで、このような経過から本市に正式な了承を得ることをせずに、今回のような措置をとったのであれば全くもって許しがたいといわなければなりません。」

(2)1982年2月1日発行の市報「むさしむらやま(第307号)」掲載の「予研のP4問題」

 「韓国型出血熱やラッサ熱など国際伝染病の防疫体制や治療法を確立するため、国立予防衛生研究所が市内の同村山分室に建設した、わが国初の高度安全実験施設『P4』の安全性問題で、1月12日、荒田市長が厚生省へ出向いて要請した結果、『安全性について、市民の合意が得られるまで実験を開始しない』との確約を得ました。
 『P4』施設は、航空機の発達で国際間の人的交流が盛んになるにつれ、発展途上国から未知の伝染病が先進国に持ち込まれるケースが増えてきたので、その防疫体制や治療法を研究するため、昨年6月、学園地区の国立予研村山分室内に完成したもの。病原性の微生物を取り扱うには、その危険度に応じて『P1』から『P4』までの4段階の施設が定められていますが、この施設は、世界でも5番目という『P4』の最も厳重な施設です。しかし、危険な病原を扱う施設だけに、その安全性をめぐって、地元住民に大きな不安となっています。
 この日の要請では、まず、市長が森下厚生大臣あてに要望書を提出しました。内容は①施設建設が、口頭によるあいさつ程度であり、これをもって市側が了承したと解する厚生省の考えは遺憾であり、撤回を②『P3』クラスの実験施設の改造も、市に説明もなく行われ遺憾であり、今後こういうことがないように③P4施設の安全性について市民の合意が得られるまで実験開始を差し止めること―の3点を申し入れたものです。
 続いて、P4施設に対する住民不安の実情を訴え、実験開始の延期などを要請しました。これに対し、三浦公衆衛生局長が、実験延期を確約したほか、設置されるP4の安全監視委員会のメンバーに、『市が推薦する学識経験者を加えることも配慮したい』と答えました。
 なお、市議会では、昨年12月24日の本会議で、『市民の合意が得られるまで実験開始を控え、安全性が確認されないときは施設移転を行うべきである』などを要請した『P4施設建設等についての厚生省の措置に関する意見書』を全会一致で採択し、厚生大臣あてに提出しました。」

(3)1982年6月25日の武蔵村山市議会での富久尾浩議員のP4施設についての一般質問と高橋貞夫経営管理室長の答弁

富久尾浩市議会議員
 「さる3月26日の予算特別委員会の中で市側から最終的に安全性が確認され、実験が開始される場合協定書か覚え書きをかわす必要がある旨の考えが示されております。私が危惧いたしますのは、地元の説得に当たるであろう厚生省側が、地元自治会側と合意に達する以前に市が協定を結んでしまうようなことがあった場合、反対運動が行政の手によって分断されてしまうということであります。そこで最終段階でかりに覚え書きなり協定を交わす場合には、厚生省と武蔵村山市に加え、地元の自治会等反対運動されている団体を協定の当事者に加えるべきではないかというふうに考えます。あるいは市が厚生省と協定を結ぶにあたって、その前段として市と自治会とが文書による覚え書きなり協定を結ぶ必要があるというふうに考えます。」

高橋貞夫経営管理室長
 「ご指摘の3月26日の予特の中で協定書、あるいは覚え書き等が答弁されておりますが、ただいまご指摘になりました中で厚生省と武蔵村山市が行なうんではなく、自治会も含めた中で協定書というものを結ぶ必要があるというように、最終的な処理については、その方法でやってほしいというようなご指摘でございますので、それらは十分尊重いたしましてそのような方法で考えていきたいというふうに思っております。」

(4)富久尾浩市議会議員の著書「デスマッチ議員の遺書(2001年)」

「第三章 行政の失態の裏事情
危険な病原菌の研究施設を歓迎

 以前から学校や住宅密集地にある国立予防衛生研究所の中に、予防法も治療法も確立されていないラッサ熱等の病原菌を封じ込める、国内唯一の施設(P4実験室)が完成し、環境衛生の部長が開所式にお祝いに行ったことが、市報の記事で判明し、議会がその失態に振り回されてすったもんだすることになったのである。
 学校や住宅に隣接している場所に、危険な病原体の研究施設を作った厚生省に対し、議会と地域住民は総反発したが、市は何の問題意識もなかったのだからお粗末である。
 厚生省側は『市の了解は得てある』と言い訳するものの、市役所には一度あいさつにきただけで、その後、市から何の連絡もないことを好都合に、勝手に建設してしまったことも分かったので、多くの議員が一般質問で取り上げ、問題意識に欠ける市の姿勢を追及したのである。
 わたしは、市民や議会が知らないうちに実験の協定をしないことを約束させ、厚生省内でも国際伝染病防疫対策実施要綱案が八三年来放置されていることと、市民運動が起きてから、市民に向けて施設の安全性を説いていた東大医研の関係者が患者発生の保健所への届け出を四ヵ月も怠っていたずさんさを突き、関係者の話は信用できないとして、国に施設の移転を求めるよう迫ったのである。
 市議会は周辺住民の反対陳情を全会一致で採択のうえ、施設の撤去を求める意見書を可決して厚生大臣に送付した。後ればせながら市は議会側の強い姿勢を背に受けて国に移転要請を続け、数年かかったが、施設の研究部門を戸山庁舎に追い出すことができたのである。
 当該施設の市民生活への影響を考えてもいなかった行政の失態を議会が一致して救った貴重な一例である。」